三郎事件簿その4
「ギャハハハ!」

(文責・ボーン助谷)

今回は酒の話でもなく、誰も痛い目には遭わないが、オモシロかった話。

ソウル透がパールのモニターをしていたお陰で、メンバーも当時パールが開発していたエフェクターの試作品やなんやらを使わせて戴いていた。そのうち色々な楽器メーカーの人達とも仲良くなり、特に石橋楽器さんとは随分懇意にさせてもらった。弦の提供を受けたり、特にキー坊は自ら「タロー」と名付け、パンツまで履かせてしまった石橋特製のギターを長期に渡って借り受けた。特に担当の飯嶋三郎さんとは仲良くなり、色々な相談にも乗ってもらった。試験的に作ったというボディ、ネック、ヘッドまで木材の全てがメッキ?された銀色ピッカピカのメタルギター、ベースを借りてステージで使ったりした。これがなにしろ重い。金属なので音の伸びはモノスゴいのだが重い。あの三郎が「こんな重いんじゃ肩が凝る」と弱音を吐く位重かった。2号機まで試作品を作っていたようだが、あれはどうなったんでしょうね?飯嶋さん。

話は変わり、その頃ステージでの三郎のベースの音が小さくなって行った。

「三郎!ガラにも無く遠慮してんのか?」
「違うんだよ。電池もバッチリで楽器のボリューム目一杯でアンプもフルなんだけどさぁ。ダメなんだよ。スペアのベースだと思いっきり鳴るんだけどね」「まぁ酷使してんからなぁ。そろそろ楽器も寿命か?」
「かもしんねぇなぁ。一度飯嶋さんに診てもらうか?」
「そうしろよ」

なにしろ三郎愛用のミュージックマン/スティングレイベースほど世界一過酷な条件で使われていた楽器も無いだろう。毎回金属以外の木類、野菜類、水分を含んだ穀類、柑橘類、粉を始めアリとアラゆるモノで弾かれ、しかも立派に音を出していた。三郎は意外とマメでキレイ好きな人間で、ステージが終わるとそこら辺にある雑巾を濡らし丁寧に異物を払拭し、汗拭き用に使った自分のタオルでカラ拭きして優しくケースに収めていた。たまには爪楊枝を器用に使ってフレット、ツマミ類の細かいところまで掃除していたのだが、そろそろ楽器の寿命が尽きようとしていた。供養もかねて一度飯嶋さんを通じ、石橋楽器で診てもらう事にした。数日後、飯嶋さんから電話がきた。「どーでした?やっぱりダメ?」
電話の向こうで彼が一気に喋りだした。

「ギャハハハ!楽器自体は全く問題ありませんよ。でも楽器を分解した人間が大喜びしちゃってネ!ギャハハハ!出て来るわ出て来るわ。何かと思ったら乾燥したモヤシなんかの野菜クズ!配線コードのビニールが剥がれたのかと思ったら小麦粉の固まったヤツ!他にも出るわ出るわ。メンテナンスの人間がヒックリ返って喜んでましたよ。ギャハハハ!ゴミのせいで接触が悪くなっていただけですよ。一応コイルとか綺麗に掃除して、サビも落としたし、コードも新しいのに変えておいたのでバッチリですよ。ギャハハハ!こんなに大笑いしたの初めてですよ。有り難うございました。ギャハハハ!」

人が喜んで戴けるに越した事は無い。これ以降1回もメンテナンスに出してはいないが、三郎愛用のスティングレイは今も健在である。
楽器は正しく使いましょう。